こんにちは。
ウズベキスタンを旅していて、何度も思ったことがあります。
「この国の人たちは、言葉が通じないことを、話しかけない理由にしない」。
こちらが「わからない」と言っても、お構いなし。身振りと表情と、ときにはスマホの力まで借りて、とにかく話しかけてくる。そのたびに戸惑って、笑って、ちょっと温かい気持ちになりました。
ここでは、そんな旅の途中で出会った人たちのことを振り返ります。
- サマルカンド→ブハラの列車で隣の席だったおじさん👱♂️
- ヒヴァのベンチで隣に座ったおばちゃん👵
- ヒヴァのマートの男の子👦
- 一生懸命の英語で話しかけてくれた子どもと学生たち👥
- ウルゲンチで助けてくれた大学生ベンジャミンくん(英語名)🙋♂️
- ブハラの自称ガイドXさん(仮名)👩
- 国際列車で同じコンパートメントだったタジキスタンの家族👥
日本語の一人称がカオスだと教えてくれた、列車のおじさん
場所:サマルカンド〜ブハラ間の列車

サマルカンドからブハラへ向かう列車で、隣の席になったのがこのおじさん。
座ってしばらくすると、「どこから来たの?」と声をかけられた。たぶん、そういう意味だったと思います。というのも、その後はすべてウズベク語だったから。
こちらがきょとんとしていても、おじさんの勢いは変わらず。どうやらブハラの手前、ナボイで降りるらしい、ということだけは、なんとなくわかりました。それ以外は、正直なところ、ほぼ何もわからず。でも、おじさんはとても楽しそうでした。
ひとしきり話して、ふっと静かに。ようやく満足したのかな、と思っていたら、おじさんはスマホを覗き込んでいます。日本について調べていたらしい。
やがて「見て見て」と画面を向けてきました。再生されていたのは、日本語の一人称がいかにカオスかを説明する動画。「わたし、ぼく、おれ、自分、あたし、わたくし・・・」、おじさんは動画を見ながら、本当におもしろそうに笑っている。そして、その笑顔のまま、その画面を私にも見せてくるのです笑。
言われてみれば、日本語ほど一人称が多い言語も珍しいのかも。私たちは相手や場面に合わせて、ほとんど無意識に使い分けていますが、日本語を母語としない人から見れば、使い分けの基準なんて意味不明に違いない。
ウズベク語がわからない私が、日本語のおかしさを、ウズベキスタンの列車の中で教わっている・・・なんだか不思議な時間でした。
おじさんは、ナボイで降りていきました。
ゆっくり話せば通じると信じていた?ヒヴァのおばちゃん
場所:ヒヴァ

ヒヴァは、とにかく暑かった!あまりの暑さに、日陰のベンチに避難して座っていると、隣におばちゃんが座ってきました。
目が合ったので、ニコッとすると、おばちゃんが何やら話しかけてくるではないですか。
「ごめんなさい、あなたの言葉がわからないの」と伝えてみても、おばちゃんは気にせず、そのまま話し続けてきます。
しばらくして、おばちゃんは私が理解していないことに気づいたらしい。そして、次の作戦に出ました。ゆっくり発音する、という作戦です爆。

いや、スピードの問題ではなくて・・・あなたの言語がわからないんです
心の中で全力でツッコミましたが、おばちゃんはとても真剣な顔で、一語一語はっきりと話しかけてくる。その熱意は嬉しいけれど、やっぱりわからない。
ようやく、これは通じないらしいと悟ったのか、おばちゃんはバッグからスマホを取り出し、開いたのはChatGPT。そこからは、AIを介した会話が始まりました。うむ、苦しゅうない。
サマルカンド出身で、旦那さんとヒヴァを旅行中なのだそう。
私と同じ旅行者でした。
会話が一段落すると、なぜか記念撮影をして、バイバイ。別れ際、おばちゃんの笑顔から、全面の金歯がきらりと光り、まぶしかった。
ヒヴァの暑さの中で、いちばん強く記憶に残っているのは、あの金歯。
一生懸命の英語で話しかけてきた、子どもと学生たち
場所:各地の観光地

ウズベキスタンの観光地では、地元の旅行者にもよく話しかけられました。特に多かったのが、子どもと学生たちです。
彼らは、英語を勉強中なのだそう。習ったばかりの英語を、一生懸命に組み立てて、話しかけてきます。「私の英語は完璧じゃないけど・・・」と言いながら、目はキラキラしています。
私だって、決してうまいわけではありません。それでも、彼らにとっては貴重な「実践の機会」なのでしょう。答えると、嬉しそうに話を続けてくれ、その様子を見ていると、なんだかこっちまで元気になりました。

ヒヴァの宿の近くにあったマートでは、小さな男の子に会いました。
お母さんに「ほら、ちゃんとありがとう、こんにちはって言いなさい」と促されて、はにかみながら挨拶してくれる。その姿が、めちゃくちゃ愛らしく、言葉はわからなくても、「ちゃんと挨拶しなさい」という空気は、世界共通らしい。
番外編:もはや人じゃない
この国は、猫がとにかく多い。

街を歩いていると、何度も足を止めてしまいました。

人に話しかけられて足が止まり、猫に呼ばれて足が止まる。なかなか前に進めない国です。
列車に乗り遅れた私を助けてくれた、ヌクス出身の大学生
場所:ウルゲンチ〜ヌクス間の列車

ウルゲンチで、列車に乗り遅れた。
駅員さんに事情を聞こうにも、英語が通じない。困っていたところに、間に入ってくれたのが、英語を話す大学生の青年。それがベンジャミンくんとの出会い。ベンジャミンというのは英語名で、本名は外国人には発音が難しいから、と教えてくれました。
結局、私はそのあと、冷房のないローカル列車に乗ることになりました。これがめちゃくちゃしんどかった。ただ、彼も同じ列車で、お母さんとヌクスに戻るところでした。

列車に乗る時も、降りる時も私の重いスーツケースを運んだり棚に上げてくれたり、とにかく優しい。
ようやく席について、あらためて「出身はどこ? 名前は?」と聞かれ、「日本からだよ」と答えると、返ってきたのは「うっそ! まじ?!! 日本?!!」という、こちらがびっくりするほどのテンションと、キラキラした瞳。
まるで有名人にでも会ったような反応でした。どうやら彼は日本が大好きで、日本人に会うのは初めてだったようです。
彼は、ヌクス出身の19歳の大学生。ヌクスは、ウズベキスタン内の自治共和国・カラカルパクスタンの街で、カザフ語に似た、カラカルパク語という別の言語があるのだそう。ウズベク語、ロシア語、英語も話せて、日本語も少しわかり、アニメで覚えたのだとか。
話は、日本の話から、彼自身の話へと移っていきました。
ウズベキスタンでは、車と家とお金(いわゆるステイタス)がないと、いい子とは付き合えないらしい。決してみんなではないと思いますが、ウズベク人も大変だなあ、と思いました。
そして、将来は、日本かロシア、あるいはロンドンに住みたいと言います。ヌクスは閉鎖的で、嫌なのだそうだ。地方都市あるある。国は違えど、若者の悩みは似たり寄ったりなのかもしれません。

普段なら、絶対に交わることのない、異国のティーンエイジャー。列車に乗り遅れて、冷房のないローカル列車でしんどい思いをしたけれど、乗り遅れたおかげで、現地の学生とゆっくり話せて、いろんな本音を聞くことができました。
一期一会。これも、旅の醍醐味かもしれません。
乗り遅れたときの詳しい経緯は、こちらの記事にも書いています↓

最後に25万ソムを請求された、ブハラの自称ガイド
場所:ブハラ
ここまでは、笑える話や温かい話ばかりでした。ひとつだけ、ほろ苦い出会いもありました。

ブハラの路上で、自称「地元民の日本語ガイド」のXさん(仮名)に話しかけられました。最初は英語で、私が日本人だとわかると日本語で。会話は普通に楽しく、「明日、散歩しませんか」と誘われて、OKしました。
翌日は、一緒にブハラの観光地を巡り。そして、最後の最後に、25万ソムを請求されました。
昨日まで楽しく話していた人を、疑いながら歩く旅は、やはり悲しいものです。親切にしてもらったと思っていた時間が、最後に違う色に見えてしまう。これは、ウズベキスタン旅の中で後味の悪い、すっきりしない出来事でした。
詳しい経緯は、こちらの記事で書いています。

でも、ウズベキスタンで出会った人たちは、Xさんだけではない。このあと私は、いちばん心に残る人たちと出会うことになります。
「ドゥシャンベに来たら泊まってね」と言った、国際列車の家族
場所:カザフスタン行きの国際列車
カザフスタンへ向かう国際列車は、4人用のコンパートメントでした。

早朝に乗り込むと、すでに3人の先客がいました。そして、私のベッドの上には、荷物が置かれていて、これでは上がれません。
下の席では、人が爆睡しています。申し訳ないと思いつつ、起こして荷物をどけてもらいました。嫌な顔ひとつされず、それどころか、重いスーツケースを上の棚にあげるのまで、手伝ってくれました。
ほっとして、しばらく眠った。
目が覚めると、下では3人が朝食をとっていました。どうやら家族らしい。そして昼になると、驚くものが出てきた。陶器のお皿に盛られたプロフ。さらに、ティーポットに入ったお茶まで。
列車の中で、どこからこんなものを。あの皿も料理も、自前なのだろうか。目を丸くしていると、目が合って、「一緒に食べましょう」。言葉はわからなかったけれど、そう言われているのが、はっきりとわかりました。

カザフスタンに入国してからは、Google翻訳で会話をするように。年配のご夫婦と、20代(推定)の息子さん。タジキスタンの首都ドゥシャンベ出身で、モスクワにいる娘さんに会いに行く途中だそう。そこで初めて、この列車がドゥシャンベ発、モスクワ行きだと知りました。ロシア語は、みなさん問題なく話せるようでした。
お母さんは、スマホで写真や動画をたくさん見せてくれました。自宅の庭に咲くバラの花。家族が集まったときの動画。どれも、大切なものを見せてくれる顔。
別れ際、お母さんは言いました。「ドゥシャンベに来たら、ぜひうちに泊まってね、歓迎するわ」と。
記念撮影もして、「この写真、みんなに見せるわ!」と、うれしそうに。
なんてことない会話。でも、心がじんわりと温かくなる出会いでした。
そして、最後の最後。
お父さんが、私に何かを話しかけてくれました。
お父さんは、旅のあいだずっと穏やかな人で、何かを達観しているような、静かな顔つき。そのお父さんが、落ち着いた声で、ゆっくりと、一生懸命に、私に向かって話してくれています。
でも、そのとき、スマホの電波は途絶えていました。国境を越えたあとで、SIMが電波をつかめなくなっていたのです。翻訳アプリは、動かない。
お父さんの言葉を、私はスマホの画面の前で待ったけれど、画面は何も返してくれませんでした。
結局、なんと言ってくれたのかは、わからないまま。
これは完全に私の想像ですが、これまでの会話の流れなら、きっとこういうことだったのではないかと。
「人生には大変なこともあるけれど、乗り越えられるよ。気をつけて、旅を楽しむんだよ」
それまで何度も、言葉の壁を翻訳で越えてきたのに。いちばん聞きたかった言葉を、聞き取れず。
旅してるなあ、これも人生だなあ・・・。
お父さんの穏やかな声のトーンと、あの顔だけが、いまも記憶に残っています。
★ウズベキスタン旅行の情報まとめはこちら

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