こんにちは。
ブハラ旧市街の西側にそびえる、巨大な要塞がアルク城です。ここには5世紀頃から人が住んでいたとされ、ブハラの町と同じくらい古い歴史を持つ場所です。20世紀初頭まで、実に1000年以上にわたって、歴代の支配者(アミール、ハーン)の居城として使われていました。
本記事では、アルク城の見どころをご紹介します。
アルク城の歴史と基本情報
アルク城は、ブハラの旧市街の西端に位置しています。ポイ・カラン複合体から徒歩5分ほど。
単なる要塞ではなく、最盛期には宮殿、後宮(ハーレム)、財務、金貨の鋳造所、さらに牢獄まで備えた、3,000人以上が暮らす「城塞都市」でした。16世紀、シャイバニ朝のもとで今の姿に近づき、城内は貧富や身分によってエリアが分かれていたとも言われています。
ただ、長い歴史の中で、破壊と再建を繰り返してきた場所でもあります。13世紀にはチンギス・ハン率いるモンゴル軍に攻め落とされ、1920年には、ソ連赤軍の攻撃を受けて大部分が瓦礫と化しました。
そのため現在残っているのは、城門や玉座の間、モスクなど、ごく一部です。
城壁の中に入ると、当時の建物の大部分が失われ、砂漠のような開けた空間が広がっていて、外観からは想像できないギャップに驚かされました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 入場料 | 60,000ソム(約810円) ※カード払いは手数料がかかり、60,900ソム(2026年6月現在) |
| 所要時間(目安) | 約1時間 |
| 支払い | カード可 |
玉座の間|歴代アミールの戴冠式が行われた場所
城内で見応えのあった場所の一つが、玉座の間。

「クリニッシュ・ハナ」と呼ばれるこの場所は、歴代のアミールが戴冠式や謁見を行った、権力の中心でした。最後に戴冠式が行われたのは1910年、アリム・ハーンの時代だったとされています。
玉座は、木造の柱に支えられた舞台のような一段高い場所にあり、現在は観光客の撮影スポットとして賑わっていました。

玉座の間の脇の壁の一段低くなった場所には、小さな扉があり、その両脇を守るように、少しコミカルな表情の2体のライオン像が。
ライオンは力や権威の象徴として、イスラム建築の装飾にもしばしば登場するモチーフで、財宝庫など、重要な部屋の入口にライオン像を置くことがあるようで、ここもそのような意図があったのかもしれません。
玉座の間の前に広がる広場は、かつて厩舎(馬小屋)があった場所。ここには地下へと続く階段があり、正門の通路につながっています。


ガイドによると、かつて君主は、馬に乗ったままこの階段を下り、正門から外へ出ていたとか。真偽の程は定かではありませんが・・・、君主が馬に乗ってこの階段を降りていたと思うと、少し想像が膨らみます。
破壊された遺構エリア|今も発掘が続く「もう一つのアルク城」
城内を奥へ進むと、修復された博物館エリアとは対照的な光景が広がっています。

1920年、ソ連赤軍の攻撃を受けて建物の大部分が焼け落ちたまま、手つかずで残っているエリアです。

かつて3,000人以上が暮らしていたという街の痕跡は、今はほとんど土に還っていて、発掘調査が今も続けられている場所もあるようです。外から見た堅牢な城壁からは想像もつかない、むき出しの遺構が広がる光景は、なんというか・・・栄枯盛衰。

城壁の上からは、旧市街を見渡すことができます。
博物館|シルクロード交易の品々と、日本・中国の陶器
城内の博物館では、貨幣や武具、工芸品など、ブハラの歴史を物語る展示が並びます。

シルクロード交易で集まったさまざまな品が展示されていました。

中には日本や中国の陶器もあり、まさかこんな場所で日本とのつながりがあったと思うと感慨深く、興味深く見学しました。
木造モスク|天井装飾とミフラーブ
城内に残るモスクも見どころの一つです。

木造の柱が並び、色鮮やかな天井装飾やミフラーブ(メッカの方向を示すくぼみ)も必見。

まとめ
アルク城は、ブハラの支配者が1000年以上にわたって暮らした、街の歴史そのもの。建物の多くは失われていますが、かつての支配者も眺めたであろう旧市街の景色も一望でき、さらに玉座の間や博物館の展示から、往時の栄華を感じ取ることができる場所でした。
ただし、日差しを遮るものが少なく、夏場の見学はかなり暑さを感じました。帽子や日焼け止め、水を用意しておくことをおすすめします。
★ブハラ旧市街の見どころの記事はこちら

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